破壊するもの

オベリウを崩壊に追いこむきっかけを作った悪名高い二つの記事を翻訳します。

派ウリベオ(1928年)

反動的イカサマ(1930年)

<簡単な解説>

『派ウリベオ』と『反動的イカサマ』の二つの記事について、ミハイル・メイラフは非常に興味深い視点を提供してくれています。それは「学生」という視点です。

『派ウリベオ』には、<左翼の三時間>というオベリウの夕べが聴衆に嘲笑された様子が記述されています。ところが、メイラフが正しく指摘するように、この<左翼の三時間>にはハルムスたちの友人・知人など関係者がかなり大勢招待されており、『エリザヴェータ・バーム』のような演劇を否定的に捉え、攻撃する人間は、限られてくるはずなのです。では、仮に『派ウリベオ』に記述されていることが本当だと信じるとして、いったい誰がそのような悪ふざけをやってのけたのでしょうか?

メイラフが言うには、それは学生たちです。つまり、「大学の情操教育によって制限されている言葉遣いに甘んじたりしない、文盲清算時代の学生たち」です。文盲清算というのは、識字率のかなり低かった20世紀初頭のロシアで始まった、読み書き教育を拡充させようという運動のことです。これによって学校数が増加し、一般大衆でも読み書きすることができるようになりました。しかしながら、皮肉なことに、それほど教養のない学生たちを量産することにも繋がってしまったのです。

1930年春、オベリウが自分たちのパフォーマンスの舞台として選んだのは、『反動的イカサマ』に書いてあるように、大学の学生寮でした。これは結果的に最悪の選択だったといえます。ロシアの文壇の長老だったクリューエフはすでに1927年末に、ハルムスとヴヴェジェンスキーに対し、「かなり教養のある」学生たちのところで詩を朗読するよう忠告していました。

『反動的イカサマ』によれば、オベリウの詩を「反革命的」と決めつけた学生らは、自分たちの見解をまとめたものを作家同盟に送付しました。この密告と『反動的イカサマ』の記事によって、オベリウは崩壊に追いこまれてしまうのです。