エリザヴェータ・バームを求めて

文学研究をするに当たって大切なことは、まず分析したい作品のテキストを探すことです。…と書けば、いかにも当然のことのように思われるかもしれません。しかし、分析対象のテキストをどれにするのか(つまり底本を何にするのか)、というのは非常に重要な問題なのです。

この底本の問題は、日本文学を専攻した経験のある人たちにはきっと馴染みの深いものでしょう。たとえば宮澤賢治や稲垣足穂はしばしば自分の作品の改作をおこなっており、同じ作品なのにバリアント(異本)がいくつも存在しています。したがって、一口に『銀河鉄道の夜』といっても、分析すべきテキストが複数存在するわけです。こうしたバリアントの問題のほかに、初出や手稿、タイプライター、写本といった問題が絡んでくれば、事情は一層複雑になるでしょう。手稿と初出とタイプライター原稿におけるテキストが、完全に一致するとは限らないからです。

このような厄介な問題は、草稿研究や生成研究をする人たちにとってのみ切実な問題というわけではありません。なぜなら、われらがハルムスの代表作とみなされている『エリザヴェータ・バーム』を研究しようと思う人は、必ずこの難問にぶち当たってしまうからです。

『エリザヴェータ・バーム』の抱えるバリアント問題は、おそらく研究者のあいだではよく知られていることでしょう。しかしながら、日本でこのことについて正面から言及した文章を私はまだ見たことがありません。

詳しく解説すれば非常に長くなってしまうため、底本を何にすべきか、という観点からお話したいと思います。

結論からいえば、『エリザヴェータ・バーム』を研究する際に底本とすべきは、Мейлах М. О «Елизавете Бам» Даниила Хармса // Stanford Slavic Studies. 1987. Vol.1.(メイラフ「ダニイル・ハルムスの『エリザヴェータ・バーム』について」『スタンフォード・スラヴィック・スタディーズ』第1号、1987年)です。(→本文末尾の「付記」に新情報を追加しています。

ほかにも、サージン編『ハルムス全集』をはじめ、ジョージ・ギビアン編『選集』、アレクサンドロフ編『天空飛行』など、『エリザヴェータ・バーム』を収録した作品集はたくさんありますが、いずれも欠点/不備があり、上記メイラフの論文に収められたバリアントに匹敵するものではありません。

この戯曲が公刊されるまでには複雑な歴史があるのですが、いまは肝心な点だけを書きます。作者ハルムスが承認済みのテキストは、伝説的な文学研究者ハルジエフの手元にありました。これはハルムス自身が彼に送ったものです。

そのハルジエフのもっていたテキストには、二つのバリアントがありました。「舞台」のバリアントと「文学」のバリアントです。前者には、多くのト書きが書きこまれており、また戯曲が19個の「小片」に分割されているなど、後者とは大きな違いがあります。ただメイラフの論文だけが、この二つのバリアントを両方収録しているのです。

文学研究においては全集が底本になるのが一般的ですが、少なくとも『エリザヴェータ・バーム』に関する限り、ハルムス全集は一次資料とするには物足りません。サージン自ら全集の後記において、信頼に足るテキストはメイラフが出版している、と述べています。ちなみに全集は「文学」のバリアントを採用しています。

ただし、メイラフの出版したテキストのうち、「舞台」のバリアントのほうは、不幸なことに結末部分が脱漏しています。そこで、翌1988年、メイラフとエルリは『泉』という雑誌に、「舞台」のバリアントに書きこまれたト書きを加えた「文学」のバリアントを掲載しました。これがソ連における『エリザヴェータ・バーム』の初お披露目となりました。さらにそれはハルムス作品集『天空飛行』に転載されます。

ところがこの『天空飛行』のテキストには誤植が多いといわれており、あくまでベースはメイラフの出版したテキストのほうに置き、『天空飛行』版はその補助要員とみなしたほうがいいようです。

*メイラフの編集したハルムス作品集(ギレヤ出版)にも、細かい注のついた『エリザヴェータ・バーム』が掲載されていますが、いま手元にないため詳細を確認できません。確認でき次第、追加情報を書き加える心算です。

(2013・2・26)

2015年7月11日付記

上記のハルムス作品集(ギレヤ出版)こそ決定版と見てよいかもしれません。ただし、ここに収録されているのは「文学」のバリアントだけで、「舞台」のバリアントに付されたト書き等は「注」の形で掲載されています。これはハルムス自身の意向に沿うものです。